【奥いけ!】『哲学の門前』(吉川浩満、紀伊國屋書店)【第32回奥池袋読書会】

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いきなりなんですが、
みなさんは、
あのニョロニョロした「ヘビ」は好きですか?
かわいらしい「イヌ」や「ネコ」じゃなくて、
爬虫類の「ヘビ」の方。

あの姿を見るたびに、
ギョッ!としてしまう方も多いのではないでしょうか。
(自分も超苦手です・・・)

なんでわざわざ、
こんな気味の悪い話を出しちゃったのか?
それについて、簡単に説明してみます。

まず私たちは普段の日常生活において、
いちいち物事の是非を考えながら行動している、
わけではありません。

慣れ親しんだパターンにそって、
あまり意識せずに振る舞っています。
(ある種の自動運転モード)

ところが、
予想していないタイミングで、
「いつものやつ」的なモードではとうてい対処できない。
そんな場面に突然出会ってしまうことがままあります。

この予定調和を乱すものに遭遇してしまうと、
私たちは多かれ少なかれ「エッ!?」と思ってしまう。
(場合によっては、戸惑うあまりフリーズしてしまう)

その外部からもたらされたショックの、
非常に極端な事例として、
「ヘビ」をあげてみたわけです。
(厳密には、本書のとは別の意味での「不法侵入」ですが)

もちろん、そこまでいかなくても、
予期しない出来事に対し、
心に引っかかるような違和感を抱いてしまう。

つまり、
ちょっとした「わだかまり」を感じてしまうのは、
よくあるシーンではあります。
(「わだかまり」を漢字で書くと「蟠り」で、
トグロを巻いたヘビの姿を示している)

そして、それが呼び水になり、
感情的な「わだかまり」を感じてしまう理由や
それらへの対処法などに、
問いと考えを巡らせていくことになるわけです。

これは認知の自動運転の解除であり、
本書における
「私たちが哲学的なものと関わる契機」(p35)
とも言いえます。


ところが、どっこい。
哲学には厄介な問題がひかえております。
それは哲学が持つ相反する性質から導かれるもの。

具体的には、
「万人に開かれた問いと答えの広場」(P253)
というオープンな性質がある一方で、
「高度に専門化された学問分野である」(P252)という、
クローズ的な性質も哲学にはあります。

この相反するかのような哲学の二つの性質に、
私たち素人たちは翻弄されてしまう。

これがいわゆる、
「〈門前の小僧〉 / 〈掟の門前の男〉問題」です。

これと、どう付き合っていくのか。
とてもとても難しい問題です。
(生涯に渡ってつきまとう問題でしょう)

その難問に対し、
本書は全体の記述をとおして、
優しさあふれた「支援」の手を、
「門前の徒」である私たちに差しのべてくれているんです。

いわば、
素人の目線にまで降りてきて、
あたたかく励ましてくれる。
本書の魅力の一つに、
そんな「支援」性もあるのではないかなと、
思う次第です。
(カフカのとは、直接の関係性はないのかもしれないけれど)

そこで、「支援」という単語の意味を
自分なりに敷衍すべく、
漢和辞典の力を借りて、
説明してみます。

まず「支」ですが、
これは竹の枝を手に一本持っている様です。

もう一方の「援」は、
AさんとBさんの二人の手の間に、
手づるとなるものを差し入れる様を
示しています。

今回のケースにならえば、
「〈門前の小僧〉 / 〈掟の門前の男〉問題」に翻弄され、
挫折しかかっている。
そんな私たち読者に対し、
「手がかり(いとぐち)」となるものを提示してみることで
力を貸そうとしている。
それが「支援」の二文字が表している姿
なのではないのかなと思うのです。

そして、この「支援」性は、
読み手側の認識に働きかけるという意味で、
「知的課題を遂行する際の反響板」にも
通じているのかもしれません。

そう考えると、人と人、書き手と読み手、対話と対話。
これらが織りなすものは全て、
この「知的課題を遂行する際の反響板」にもなり得る。
そんな可能性があるのではないでしょうか。
(読書会にも通じる話しですね)


(注)全体として、『改訂新版 漢字源』(学研)と
『新明解国語辞典(第五版)』(三省堂)を参照

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イベント情報

開催日時
2022/11/13(日) 15:00~17:00
開催場所
オンライン開催(Zoomミーティングルーム)
主催者の性別
男性
主催者の年代
40代

主催グループ

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